アーユルヴェーダ&体質改善エステ  アユレ 

《2018年新春ブログ第1号》アーユルヴェーダの子育て論

 
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アーユルライフセラピスト

こんばんは。姪の浜アユレのかおりんです。
日付は変わりましたが新年明けましておめでとうございます✨
今年もよろしくお願いいたします。

昨日は大晦日で諸事情がありアユレを営業出来るかをギリギリまで悩んで保留にしていましたが、どうにかお昼から営業が出来ました!満員御礼。感謝です♪終わり良ければすべて良し!!最後のお客様をお見送りしたのは19時頃、そこから片付け、買い物、そして紅白(笑)余談ですが我が家はTVを置かないことに今のところ決めているので携帯からの視聴でした。


新年、初ブログです。何を書こうか考えました。新年の凜としているけれど、ゆっくりした時間の中で昨年、1年間で心に残った言葉やお話を
書こうと思います。長〜くなりますがお時間のある方はお付き合いくださいね!お時間のない方はまたいつか。

1つ目はわたしがアーユルヴェーダを本格的に学んできた今までの1年と少しの期間で一番衝撃的だったことを書きます。
それは、鼻の穴にオイルを垂らすナスヤという施術を受けた時玉ねぎを鼻の中に入れられているような
感覚に陥ったことや、シロダーラを自身で体験して不思議な経験をしたことを上回る衝撃でした。


「え、そうなんだ?それで良かったんだ」「今までわたしが悩んで来たことって??」というのが
その時の正直な感想です。
現在、アーユルヴェーダサロンのシャクティさんで定期的にアーユルヴェーダを学んでいるのですが

アーユルヴェーダ医師(インドの資格)であり看護師&保健師さんの田端先生の講義でその衝撃はありました。
それは『アーユルヴェーダの子育て論』です。
アーユルヴェーダの古い教えでは


子どもは3歳までは神様のように

3歳〜16歳(20歳)までは奴隷のように

16歳(20歳?)〜は友人のように育てろ


というものです。訳し方等は諸説あるようで、奴隷のようにというところを日本風にマイルドに
召使いのように育てろと訳していることもある様です。
しかし、田端先生はハッキリと恐らく直訳に近い表現で『奴隷の様に育てろ』と教えてくださいました。

自分なりの解釈だと 子どもは3歳までに人間のベースとなるものが出来る超敏感期(モンテッソーリ風にいうと)
なので常に子どもの欲求に応える様に配慮しなければいけないというもの。
『三つ子の魂100まで』の教えですね。ちなみにアーユルヴェーダの子育ては母親が受精した時、もしくはその前から始まっているそうです。

衝撃だったのは『3歳〜16歳までは奴隷のように育てろ』の部分でした。奴隷の様に‥‥。一歩間違うと虐待かと思われそうです^^;
誤解のない様に書いておくと、決して本当の奴隷のような扱いをしろと言っている訳ではありません。
3歳を過ぎて、自我が芽生える頃になったら子どもの扱いを変えろということです。神様→奴隷 天から地の扱い方ですが
今まで子どもの欲求を聞いてあげて、親が怪我や失敗をさせないように見守っていたところを自立される方向に持っていけと。
わたしの解釈では決定権は常に親が持ち、子どもを従えさせよ。親が子どもをコントロールするのであり
子どもに親がコントロールされてはいけない。泣いても、反抗されてもその部分は変えるなと。

親が自分の子どもをコントロール出来なくて誰が出来るのか?とも田端先生はおっしゃっていました。


そして、分かりやすい例も一つ上げてくださいました。
それは日本での伝統的な考え方『守破離しゅはり』の考え方です。意味はWikiより以下引用します。
“守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。個人のスキル(作業遂行能力)を3段階のレベルで表している。

まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を    「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。


例(ラーメン作り)
守:ラーメンをレシピ通りに作ることができる。
破:ラーメン(守の段階で作ることができるようになったラーメン)のスープや麺、具材等をよりおいしくアレンジすることができる。レシピもより作りやすいようにアレンジすることができる。
離:ラーメン店を開業し、オリジナルのラーメンを作ることができる。あるいは、ラーメンから進化した新たな料理を作ることができる。


引用終わり
この『守破離しゅはり』の師匠にあたる部分が親であり、弟子にあたる部分が子どもです。
子ども(弟子)はまだ半人前であるから親(師匠)の型=ルールをとにかく覚えさせる。例えそれが間違っていても
子どもの意向とちがっていてもそのままを受け入れさせるということが大切だという事ですね。
子どもが精神的、経済的に独立するまでは、親がコントロールして良いという部分にわたしは衝撃を受けたのです。

当たり前の事かも知れませんがお恥ずかしい事にきちんと出来ていませんでした。
子どもの意見を尊重しようとしたり、泣かれたりしたら面倒だからという理由で子どもに親がコントロールされていなかったか。

正直、耳の痛いお話でした。同時に親子が友達の様な関係になれるのは子どもが親から自立した時だと氣づかされた貴重なお話でもありました!

新春より長〜いブログを読んで頂きありがとうございます!
少しずつではありますが、アーユルヴェーダより学んだ事を今年は昨年より沢山アウトプットしていきたいです。

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